十津川探検 〜十津川人物史〜
谷向 寅蔵
 天保12年(1841)、山手谷岡本家に生まれ、長じて込之上谷向家を継いだ。
 若年のころより、資性極めて無欲にして恬淡[てんたん]、剛毅の人であったという。家業の農業・林業を守り、畠に出でては耕作に汗を流し、山に行きては山林憮育に精を出した為、家運は益々隆盛に向かったという。
 寅蔵壮年のころ、当時この村の風俗は浮薄游惰に流れ、勤労を忌避する者が多かったという。
 このことを憂えた寅蔵は、この風習を正すには如何なる方法が最も適切であろうかと、古老に相談した。その結果、古老の意見を入れ、植林をすることにより、村人の勤労意欲を育成することにより、村の教化を図ることに決し、村人に呼びかけた。寅蔵は自ら先頭に立ち山に入り、杉や檜の苗を植え、又苗を育て、村人を督励して植林すること10有5年の長年月に及んだ。
谷向翁碑(込之上国道端)
●谷向翁碑(込之上国道端)
 この間に植栽した本数は実に23万本にも達した。
 村人の教化のために始めた植林事業であったが、この山林は込之上の共有山として、長くこの村の財源となった。
 大正2年(1913)、己を空しゅうして村に尽くした、72歳の生涯を故郷にて閉じた。
 翌年(1914)寅蔵翁の業績を偲び、その徳を慕う込之上の住民によって、頌徳碑が建てられた。
 碑は大字込之上、中岡神社の入り口、国道168号線の傍にある。
 碑文は当時の文武館長、従七位松永信嗣である。
 思うに、人を教化するには多種多様の方策が考えられるであろうが、多くの村人を相手に出来得る対策を考え、その土地の環境にあった植林に思いを致し、この事を実行し長い年月の間に勤労意欲を養い、教化の実を上げると共に、年々育ちいく美林に楽しみを見いだしていったであろうことを想像する時、寅蔵の深謀遠慮に敬服の外はない。ましてこの植林が村の貴重な財源となるまでに至ったことに思いを巡らせば、この思い更なるものがある。
 

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