十津川探検 〜風俗図絵〜
伝馬船
  図60(60) 自分が30歳頃なりしか、予て依頼しあった伝馬船を筏に乗って行っての皈りに、一人で曳っ張って家まで来たことがある。當時は十津川も北山川も貨物はすべてダンベ船で運んでゐた。荷船の一團は、大抵四隻で三人(二隻)綱曳き、一人梶取りであった。その船團の内側を通り越す訳だが、一團六人の綱の上を自分の小舟を乗り越して早く先進せねばならず、自分は綱を引いてゐるだけで、綱による緩急加減で梶を取りつつ進むのだから迚も忙しい。
 新宮を出てから下和氣まで幾船團もの追越しをして下和氣で帆を揚げた。その帆揚げ作業たるや一人では大騒ぎだ。帆は引き揚げねばならず、揚げれば風で舟は何処へ走るや判らない。やっとのことで竹筒まで来て一泊、翌日3時頃田戸に到着した。
 この帆の扱ひ方や荷物船團の追越し方は、本職であった父に時々連れられて新宮へ行ったことがあったので、やれたものだ。(15歳から17歳までのことなり)然し、船團の綱曳き人にも綱を少々緩めて貰わねばならぬ。舟から横たえた棹の四尺位のところに綱をつけて引くこと。自分が川端(水際)に寄れば、舟も深い方に寄る。反対に自分が水際から離れて上ると舟は磧岸に寄って来る。この加減をなしつつ深浅を見分けて進行する。
 近頃の様に壜類の破片など多くなれば、恐ろしくてこんな恰好では水に入る氣になれない。(昭和46年5月23目描く)

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