十津川探検 〜十津川巡り〜
快剣掃雲の額
 
 十津川高校剣道場の正面に「快剣掃雲」の扁額[へんがく]が掲げられている。
 この扁額には次のようなエピソードがある。「十津川高校の前身文武館は大正10年(1921)全焼、昭和2年(1927)移転再建、翌年落成となったが、この時、当時日本一の剣名を謳われた高野佐三郎氏が来館され『快剣掃雲』の四大字を揮毫[きごう]され武道場に掲げられた。
 しかしながら終戦と共に剣道禁止となり、この扁額の『剣』の字が削りとられて、空しく倉庫に眠ることとなった。
 昭和28年(1953)剣道復活に伴い、佐三郎氏の嫡子弘正範士が剣道指導の為来村、この扁額に『剣』の一字を書き加えられたという。」
 戦前戦後にわたって、日本剣道界の最高権威者高野父子二代による雄渾[ゆうこん]の書は、十津川の剣道の歴史のみならず、敗戦による日本の剣道受難を物語る貴重な資料とも言えるであろう。
 尚、附記すれば、昭和11年(1936)5月、寄宿舎から出火、食堂・演武場を全焼した。この時、剣道部主将玉置重富(折立)の決死的行動により、この扁額が猛火の中から運び出され、無事だったという。
 
快剣掃雲額(十津川高校剣道場)
●快剣掃雲額(十津川高校剣道場)
 
高野弘正 高野佐三郎
●高野弘正 ●高野佐三郎
 

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