十津川探検 〜十津川巡り〜
上平主税碑
 
本に書かれた上平父子
●本に書かれた上平父子
 
屋根のある主税の碑(玉置山)
●屋根のある主税の碑(玉置山)
 玉置山山頂近く、勧業山記念碑の前にある。
 上平は野尻の出身で、幕末、京都御所警衛の為、郷士を率いて上京、郷中総代として勤皇運動に挺身した。たまたま維新後、新政府の参与として横井小楠が登用されたが、当時横井はキリスト教信者で、このような者がいては国を誤るという世評があった。このことを信じた、上田立夫他五名が、明治2年(1869)正月、御所より退出する横井を襲撃、斬殺するという、いわゆる「横井小楠要殺事件」が起こった。
 この時、上平はその首謀者とみなされ、伊豆の新島へ終身流刑[るけい]となった。
 この流刑の間、上平は医者であった為、請われて、種痘をするなど島民の医療に尽くし、島民から恩人として尊敬された。
 明治12年(1879)特赦となったが、上平は島を去るに際し、不幸であった流人の霊や、釈放された流人の行末を祈って「流人供養碑」を建て

“大君の恵みに洩れぬ民なれば
  あしきをよきにかへせ罪人[つみびと]”

と刻んだ。
 島の資料館には、上平の使った薬箱が保存されている。
 帰郷後、玉置神社の祠官[しかん]となり、明治24年(1891)ここで67歳で歿した。
 尚、孫の上平義晴[よしはる]も新島に渡り、島民の医療に尽くした。
 浜野卓也作「孤島に日はのぼる」は上平主税を、赤座憲久作「医者ザムライとそのまご」は上平義晴の事を書いた本である。
 

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