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玉置神社の宝庫に保存されていたものである。
玉置山には初め玉置神社が、中世になって高牟婁院[たかむろいん]法王寺ができ、熊野三山の奥の院と称せられた。法王寺は最初京都安井門跡に、後享保12年(1727)聖護院門跡[しょうごいんもんぜき]に属して、慶應4年(1868)迄140余年間、同院の末寺であった。
この間、23代、何れも門主一代一度、入山の定めにより、奥駆修行をされ、その折玉置山に宿泊、送迎にこの天上輿[てんじょうこし]が使用された。
尚文化3年(1806)の記録によると、聖護院宮様御一行の人数は500人余であったという。 |
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| ●聖護院宮送迎用天上輿 |
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