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大字小原役場前、護国神社入口にある。
元陸軍大臣、元文部大臣荒木貞夫の終焉の地が何故に十津川村となったか、その理由を要約すれば次の如くである。
荒木はかねてから、天誅組と2・26事件が酷似[こくじ]しているのに関心をもち、天誅組の舞台となった現地に行き、事跡を調査したいという念願をもっていた。
たまたま十津川村の招きで、昭和41年(1966)10月末来村、滞在2日、史料調査、講演を行なったが、不幸にして11月1日「十津川荘」において心臓発作を起こし、佐藤首相への遺言を口述して永眠した。
昭和42年(1967)11月、村は「終焉之地碑」を建てた。碑表の書は時の内閣総理大臣佐藤栄作である。
尚歴史民俗資料館には、その死去に際しての村の誠意に対して、荒木家より贈られた家宝の恩賜の軍刀が陳列されてある。 |
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●最後の講演をする荒木貞夫 |
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●十津川荘 |
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●終焉之地 |
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