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| ●佐久間信盛の墓 |
大字武蔵、楠正勝の墓の後にある。
佐久間信盛は織田信長に30年余も仕え、信長よりは7才年長、柴田勝家と並ぶ重臣で宿老と呼ばれた。この信盛が何故にこの草深い武蔵で果てたか。
「信長公記」によれば、信長は石山本願寺攻めの無益な長期包囲を始めとする罪状19条をあげて、信盛を詰問したとされており、その結果、天正8年(1580)高野山に追放された。更に高野山金剛峯寺小坂坊に身を潜めた信盛に、信長から「高野山に住むこと叶うべからず」という厳命[げんめい]が下り、この為、やむなく吉野の奥、十津川山中武蔵の里に落ちたという。
天正10年(1582)湯泉地温泉で湯治中に歿し、武蔵に葬られた。村の有形文化財である。 |
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