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天正19年(1591)豊臣秀長[ひでなが]が郡山城中で亡くなると、跡を継いだのが、秀保[ひでやす]であった。秀保の母は秀長の姉で、秀長に嗣子[しし]がなかったので養子となっていた。
養父の秀長が大和大納言と呼ばれたのに対して、大和中納言[ちゅうなごん]という。
朝鮮の役にあたっては在陣2ヶ年におよぶ。
病を得て湯泉地の温泉で療養につとめていたが、数十丈の断崖から、小姓[こしょう]が秀保を抱いて川に飛び込み、共に横死するという非業の最期を遂げた。一説では病死、あるいは自殺、事故死という説もある。
享年17歳。文禄4年(1595)のことであった。京都六条に葬られる。 |
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