|
| |
|
|
| |
風屋ダムのほとり、「老人憩の家」の前庭にある。
文久3年(1863)8月、倒幕[とうばく]の魁[さきがけ]として決起[けっき]したいわゆる天誅組は、五条において代官所を襲撃し、一時新政府をうち樹てた。
この時、十津川郷は天誅組の呼びかけに応じ、1,000余人が高取城の攻撃等に参加した。
一方、京都において8・18の政変が起こり、天誅組は賊徒となり、追討をうけることとなった。
同時期、十津川の郷士約200名は、御所警衛のため京都にあったが、政変による天誅組の境遇の変化と、十津川郷の立場を憂慮し、使いを発して、このままでは朝敵となることを説き、天誅組から離脱をすすめた。
十津川郷士はその去就[きょしゅう]に苦しんだが、9月16日風屋福寿院において、両者の代表が会見、十津川郷は離脱した。天誅組は一時福寿院に本陣を置いたが、ここより鷲家口[わしかぐち]に出、幕軍により潰滅した。福寿院はダムにより水没した。 |
|
| |
|
|
|
 |
 |
| ●本陣跡碑(憩の家の前に建つ) |
●本陣のおかれた福寿院は水底に没した |
|
|
|
|