十津川探検 〜十津川巡り〜
腰抜田
 
 
腰抜田跡碑
●腰抜田跡碑
 大字五百瀬にあった田の名前。
 名の由来
 南北朝の頃、大塔宮護良親王は北朝方の手を逃れ、一時十津川郷に難を避けられ五百瀬を通過されようとした時、五百瀬の荘司[しょうじ]に行手をさえぎられた。
 壮司は宮の通行を認める代りに「家来か錦の御旗を置いて行け」と要求した。
 宮は大事な家来を置いていくわけにはいかないと、止むなく錦の御旗を置いて通行を許された。暫くして宮の一行に遅れた家来の村上彦四郎が荘司の館[やかた]を通りかかり、錦の御旗のあるのを見付け、大いに怒り、壮司の家来を水田の中に投げとばし、錦の御旗を奪い返して宮の後を追った。
 その時、投げとばされた家来が、腰を抜かしたのでその田を腰抜田[こしぬけだ]というようになったという。
 腰抜田は明治の大水害によって埋没し、現在は歴史を秘めたまま川底にねむっている。
 
腰抜田(現在川底 五百瀬)
●腰抜田(現在川底 五百瀬)
 

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