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碑は大字川津、旧川津ユースホステルの庭にある。
野崎正盛通称主計[かずえ]は川津の生れ、幕末十津川郷を代表する勤皇の志士の1人である。
安政の初年、同志と共に京都に上り、梅田雲浜[うんぴん]はじめ諸国の志士と交わった。
読書を好み、世情に通じ、当時この地方一の物識りと言われた。その為、主計のもとを訪れる志士も数多くいたという。
文久3年(1863)8月、討幕の狼煙[のろし]をあげた天誅組が、十津川郷に援兵を求めた際、主計は総裁吉村寅太郎の呼びかけに応じ、一郷を率いてこれに参加、各地に奮戦した。やがて政変により天誅組が賊徒となっていることを知るに及んで、十津川郷は止むなくこれを離脱、主計は責任を一身に負う遺書を残して川津の山中で自刃した。
年40歳であった。
辞世 “討つ人も討たるる人も心せよ
同じ御国の御民なりせば”
主計の自刃後5年、維新の大業成り、天誅組は義挙と称せられるようになった。明治24年(1891)正五位を贈られた。この墓表は中沼清蔵の文で愛石環亭の書である。
ダム築造の為、水没を避けて現在地に移転された。 |
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| ●辞世 |
●野崎主計墓表(川津) |
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