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大字上野地字河津、国王神社本殿前に、林出身玉堀為之進寄進の一対の右灯籠がある。
この灯籠を寄進した玉堀とはいかなる人物であったか。
文久3年(1863)天誅組の変に際し、援兵を求められた十津川郷は、即刻これに応じたが、玉堀は河内の植田主殿と共に、慎重論を唱えたため、天ノ川辻において斬首された。
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| ●辞世 |
玉堀は当時この地方の、思慮深いリーダーで、林村の庄屋であった。
天誅組が十津川に援兵を求めた時、すでに、京都の政変により、天誅組は賊とされていたことを思う時、彼の論は当を得たものではなかったか、後に十津川が天誅組から離脱せざるを得ない立場に追いこまれた事情等考えるならば、この思い尚更である。
辞世 (53歳)
“国の為仇なす心なきものを
仇となりしは恨みなりける”
墓碑は大字林にある。 |
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| ●本殿前の灯籠 |
●玉堀為之進墓(林) |
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